living originally.

essay
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音楽、ちょっとずつ自分のペースで、でも納得いく形で進めています。
これだけでも相当シアワセなんだけど、最近はオンラインでもすっごくいいことがある。
幸せ貯金が減っちゃいそうだが、
いままで貯めに貯めてきたような気もするので、まだまだその幸せ貯金の底は見えないし、
枯渇する心配はしないことにする。(むしろ、まだまだ増えているような気さえする。)

誰かと協力して作るシアワセや、
ありがとうとお礼を言われて、その上におかねまでもらえるシアワセ(これは今の本業のこと)や、
誰かのために祈れるということのシアワセを、忘れない。
忘れようがない。

そういう感情を、全部使って音楽にする。
だからぼくにとって音楽とシアワセは、DNAの二重螺旋のように、
お互いがお互いを補完しているように感じる。
どちらか片方じゃダメだし、片方を選ぶようなものじゃない。
やっとここまで来た、と思えるけど、
むしろこれから先が楽しみ満載な気がしてる。

人の役に立てるようになると、自分の自尊心が上がる。
それはそんなに難しいことではないので、
これからもそういう方向で、生きていきたい。
もちろん自分のことも大事だけど、
人の役に立つ生き方をしていると、自分のことは自然と誰かが助けてくれると感じる。
ただ、自分ひとりで考えたり、決めたりしなくちゃいけないことは確かにある。
人任せにするんじゃなく、人を当てにするんじゃなく、
きっと一緒に生きていくことを考えればいいんだ。
きっと、ひとりぼっちを心細く思って生きる必要なんてあんまりないんだ。(…たまにはある。)

難しい言葉や、世界中の悲しみや、自分の惨めさや、他人への妬みや、
そういうことはボカロの歌詞で歌ってもらうことにして(いや、ぼくの今までの歌の歌詞にもあるが…)、
素直に出てくる言葉だけで、歌詞を書けたらいいなと思う。
それが、ボカロの歌詞っぽかったら、その時はその時、そういう気分だったんだろう。
自分の言葉を出す。直にいく。
まあ、歌詞に関しては、今までと同じことを再決心しているような気もするが…。
どんな創作も模倣から始まる、というのは事実なので仕方ないとして、
ぼくはぼくにしかできない組み合わせの経験、少なくとも相当レアな経験をしてきている自覚はあるので、
そこにもっと、誇りを持って創作に役立てたいと思う。
でもそれは、ぼくに特異的なことじゃなくて、誰でもほんとはそうなんだと思う。
アートは模倣だけど、生きることはオリジナルだ。


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